手のかからない良い子ほど危ない
不登校家庭で見落とされやすい、きょうだいの苦しさ
今日も私のブログにお越しいただき、ありがとうございます。
感謝申し上げます。
前回の第8回では、やっと動き出したのに、また止まってしまう「揺り戻し」について綴りました。
今回は、その揺り戻しの陰で見過ごされやすい、もう一人の子どもの心についてお伝えしたいと思います。
今回のタイトルにある「危ない」という言葉を見て、また自分が何か見落としているのではないかと、心が重くなった方もいらっしゃるかもしれません。
ここでお伝えしたいのは、お母さんの対応を責めるための話ではありません。気づきにくいのは当然のことだという前提で、読み進めていただければと思います。
朝の慌ただしい時間、多くのご家庭のリビングには、二つの景色が同時に存在しています。
布団から出られず、声をかけても返事のない子どもの気配と、いつも通り身支度を整え、「私は大丈夫だから」と笑顔で玄関を出ていく、もう一人の子どもの姿です。
後者の子どもを見て、心がふっと軽くなる瞬間をお持ちのお母さんは、少なくないのではないでしょうか。
この子は手がかからなくて助かる、という感謝は、本当によくわかります。ただ、その「大丈夫」という言葉が、いつも本当の気持ちをそのまま映しているとは限らないのです。
三つの葛藤
不登校の子どものきょうだいには、いくつもの気持ちが同時に重なっていることがあります。
一つ目は、寂しさです。
話したいことがあっても、お母さんは忙しそうにしています。
自分の話をしようとしても、途中で不登校のきょうだいの話に変わってしまうという感じがします。
二つ目は、不公平感です。
自分はつらくても学校へ行かなければならないのに、どうしてあの子は休めるのだろう。
同じ学校に通っている場合は、これがさらに具体的な形で表れます。
「お兄ちゃん、最近学校来てないね」と聞かれるたびに、どう答えればよいのか分からず、気まずさを一人で抱えてしまうのです。
何気ない一言のはずが、その子にとっては小さな傷として積み重なっていきます。
三つ目は、罪悪感です。
不登校のきょうだいに腹が立つ一方で、苦しんでいる相手に怒ってはいけないと思います。
ずるいと感じた自分を、冷たい人間だと思ってしまうこともあります。
この三つが重なると、子どもは何を言ってよいのか分からなくなります。
その結果、「別に」「大丈夫」という短い言葉で、気持ちにふたをするようになっていくのです。
SOSのサイン
きょうだいの苦しさは、必ずしも「つらい」という言葉で表れるわけではありません。
急に聞き分けがよくなる、頼んでいないのに家事や世話を過剰に引き受ける、学校や友達のことを話さなくなる、成績が急に下がる、あるいは必要以上に成績にこだわるようになる。
お腹が痛い、頭が痛いと、体調不良を訴える日が増えることもあります。
反対に、これまでと違って不機嫌になったり、些細なことできょうだいに強く当たったりすることもあります。
それは性格が悪くなったわけではなく、限界に近い我慢が、行動として溢れ出しているサインということもあるのです。
年齢によって、表れ方も少しずつ違います。
年下の子どもであれば、赤ちゃん返りのような甘えや、体の症状として出ることが多く、思春期に近い年上の子どもであれば、言葉での反抗や、家族との距離を取ろうとする形で表れることもあります。
上の子だから、下の子だからと決めつけず、その子なりの表れ方を見ていただければと思います。
こうした変化に気づけないことを、どうかご自分を責めないでください。目の前の対応にエネルギーの多くを使ってしまうのは、自然なことです。ただ、早い時期にその子の心に気づいておくことは、その子自身がやがて同じように学校へ足が向かなくなってしまうことを防ぐことにも、つながっていくのではないかと私は感じています。
避けたい二つの関わり
きょうだいが不満を口にしたとき、「あの子は今、大変なのだから、あなたは我慢して」と言いたくなることがあると思います。
ただ、この言葉を受け取った子どもは、自分の気持ちは後回しでよいのだと感じてしまいます。
良かれと思って口にした言葉でも、子どもにとっては、自分の気持ちを表に出してはいけないという、強いメッセージになってしまうのです。
もう一つ避けていただきたいのは、不登校のきょうだいと比較して、「あなたはしっかりしているから」「あなたは大丈夫だから」と、役割を固定してしまうことです。
ということは、その子は「しっかりした自分」を演じ続けなければならなくなり、本当の気持ちをますます言えなくなってしまいます。
具体的アプローチ
「何か困っていることはない?」と尋ねても、多くの場合は「別にない」と答えると思います。
そんなときは、無理に本音を聞き出そうとしなくてもよいのです。
「あなたにも我慢させていることがあるよね」
「お母さんに心配をかけないようにしてくれていたのかな」
と、親の方から言葉にしてみてください。すぐに返事がなくても、その言葉は子どもの心に残ります。
一日五分でも構いません。
買い物へ一緒に行く時間でも、寝る前に少し話す時間でもよいと思います。
不登校のきょうだいの話ではなく、その子自身の学校や好きなことに心を向ける時間を、日々の予定の中に組み込んでおくことに、大きな意味があります。
子どもたち全員に、まったく同じ対応をすることは難しいものです。
不登校になっている子どもには休息や安全が必要な時期があり、学校へ通っているきょうだいには、自分も大切にされていると感じられる時間が必要です。
同じ量を同じように与えることだけが、公平ではありません。
それぞれが今、何を必要としているのかを考え、可能な範囲で届けていただければと思います。
また、不登校の詳しい事情を、本人の了承なくきょうだいに話しすぎない配慮も必要です。
理解してもらうことと、苦しさを背負わせることは違います。
すべてを家庭の中だけで抱え込む必要もありません。
学校の先生やスクールカウンセラーに、きょうだいの様子を少し伝えておくことも、一つの選択肢です。
家庭の外にも、その子を見てくれる目があるというだけで、お母さんの気持ちが少し軽くなることもあります。
きょうだいが見せる不満や嫉妬は、決して愛情が足りないことの証拠ではありません。
それは、「自分のことも、ちゃんと見ていてほしい」という、ごく自然な気持ちの表れです。
不登校の子どもを支えることと、きょうだいを大切にすることは、対立するものではなく、どちらも家庭全体の安心を取り戻すための、同じ支援だと私は思っています。
家族それぞれが抱えている苦しさに気づくことができれば、それだけで、家庭の中の空気は少しずつ変わっていくものです。
もし、今の状況の中で、誰にどう向き合えばよいのか分からず、心が疲れてしまっているようでしたら、個別にご相談いただくことも一つの方法です。
ご相談は、オンラインでゆっくりお話を伺う形で行っており、まずは今のお気持ちや状況を整理するだけの時間としてご利用いただくことも可能です。
ご自身のペースで、少しずつ整理していただければと思います。
次回は、家庭の外から投げかけられる、「甘やかしているのではないか」という言葉について、お話したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞ今日も良い一日でありますようにお祈りしております。
