中学受験と不登校(745)本当に塾が必要ですか?4

本当に塾・予備校が必要ですか?4
今日も私のブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
感謝申し上げます。
塾・予備校が本当に必要か、ということをお話ししてきました。
その時に、成績を上げるためには、お子さんのことを信じ切れるかどうかが、大きな差になることをお伝えしました。
子どもは信じてもらえることを実感できると、ものすごく安心します。
それと同時に、最初は少しわがままになります。
今まで信じてもらえていない感じがずっとあったのですから、それはどうしようもないかもしれません。
子どもとしては、信じてもらえているという感覚よりも、自分をそのまま受け止めてもらえているという感覚の方が近いかもしれません。
信じてもらえている、などとは感じていないことは、間違いありません。
ただ、自分を丸ごと受け止めてもらえている。
この感覚はあると思います。
この丸ごと受け止めてもらえる、信じてもらえるという感覚を、なぜ持てないのか、ということを考えてみます。
これは、塾や予備校を考えるときに、子どもの成績が上がらない元になっているものですから、とても重要な問題です。
塾に通わせることになった時に、宿題をやらずに塾に行っていることがわかったとします。
まず、我が子であるということがあると思います。
お母さんやお父さんの考えていることなど、小さい頃からわかっているはずだという、無意識な思い込みがあります。
いろいろ言い聞かせてきたというのもあって、説明をしなくてもわかっているはずだし、そんなことをするとは思えないし、ありえないとお父さん、お母さんは勝手に考えます。
そんなことは当たり前だろうと言われそうですが、決して当たり前ではありません。
次に、お母さん、お父さんが塾に通わせたい、成績を上げさせたい、受験で合格させたいと思っていることがあると思います。
子どもがどのように考えているかは別です。
子どもの思いに関係なく、お母さん、お父さんが塾に通って、成績を上げて、○○中学に合格させたい!と思っているのです。
理由はそれぞれ違うと思いますが、意識的にも無意識的にもそう考えている。
そうすれば、子どもの将来は安泰だと、勝手に考えているのです。
これが良いか悪いかを言っているのではありません。
これは、ご家族の思いでしかないということを言っているのです。
そうして、ご家族の考えを押し付けてしまっていることになってしまっています。
最後に、常識にとらわれてしまっているということです。
宿題を出されたら必ずやるもの、という常識にガチガチに囚われているということがあります。
これは、お母さん、お父さんが小さいときに刷り込まれた常識です。
また、真面目に小中学校を過ごしたお母さん、お父さんが、お子さんよりも囚われてしまっていると思います。
だからこそ、宿題をしていかないということなど、あり得ない!となってしまいます
・我が子であるからわかっているはず
・塾に通わせ成績を上げさせたい
・常識にとらわれてしまっている
この3つをご覧いただいたときに、欠けているものがあることがわかりますか?
そうです。
お子さんの考えです。
お子さんの思いです。
上記3つは、子どもの思いなど、全く考えられていません。
そうなると、子どもは信じられている、受け止められているなどと感じることはできません。
できるはずもないのです。
お母さん、お父さんが、自分がどう思っているかなど関係なく、自分達の思いを勝手にぶつけてくるのですから、小学生の子どもとしては、受け入れるしかありません。
「自分は自分でいて良い」という実感を持てないのに、やらないといけないと押し付けられたことについて、しっかりと取り組むなどと言うことは、大人でもできません。
こう言うと、私達だって、自分の思いに関係なく、親の言うことを聞いてきたから、そんなことは当たり前だ!とおっしゃる方が、とても多く、面と向かってそう言われたことが何度もあります。
でも、そのことは、その時でも後からでも、嫌だと思ったことはありませんか?
納得いかなかったと思ったことはありませんか?
そう申し上げると、嫌だった、鬱陶しかった、腹が立ったとおっしゃいます。
お母さん、お父さんだってそう思っていたのに、自分達と同じ感覚を持つことを許さないのは、なぜでしょうか。
それは、どこかで、無意識に「大人になるということは、親の言うことを聞くものだ」と自分達がしてきたように、子どもにも求めてしまっているからです。
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師は、ご著書『仏さまのこころ』の中の「戒のこころ」で
お釈迦様はお亡くなりになるにあたってお弟子たちに、まず自身が死んだ後には、戒を師として勤めるようにと言い残されました。「戒」とは戒律の「戒」です。戒めであります。
戒の大切なことは、十分守られているなどとうぬぼれることではなく、とても十分ではない、申し訳ない、すまないという恥じ入る心を持つことです。恥を知るといいますが、お釈迦様は最後にこの恥を知る事が大切だと言い残されました。
「こんな事しかできなくてすみません。御免ね」という心が大切だと思うのであります。
親と子にしても、親の方がこんなにあなたの為にしてやっているのにというばかりでは何を言っても、聞き入れられません。それよりも、こんな事しかできなくて御免ねという気持ちが大切です。
と書かれています。
まさに、そういう思いで子ども達と接していることが大切なのだと思います。
横田南嶺老師のお言葉ではありませんが、私もこのようなことしか申し上げられず、まことに申し訳ないと恥じ入る気持ちです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞ良い1日になりますことをお祈り申し上げます。