中学受験と不登校(776)いくら何でもやりすぎです

いくら何でもやりすぎです
今日も私のブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
子離れして、はじめてわかることがあること、中学受験では、お母さん、お父さんがのめり込みすぎないことをお伝えしてきました。
加熱する中学受験で、どんどん塾に通い、中学受験を目指す年齢が低年齢化しています。
保育園、幼稚園から英才教育をしなければと、習い事をさせ、塾にも通わせ、難関中学を目指させるお母さん、お父さんがいます。
しかし、その子ども達が最難関中学に合格したというのをあまり知りません。
これは、私が知らないだけなのかもしれません。
ですが、本当にたくさんの子どもが、就学前から中学受験のための勉強を始めて、最難関中学に合格するのであれば、多くの方がそうしていると思います。
そう考えると、あながち私の感覚も間違っていないようにも思います。
そもそも、就学前の段階で、ひらがな、カタカナ、小学校低学年で習う漢字ができた、九九が言えて、その後のこともどんどん学んでいたとしても、小学生になってから学校で学び始めた子ども達に、すぐにおいつかれてしまいます。
また、小学校低学年の間に小6までの内容を塾で先取りしたとしても、小4から塾には行ってきた子どもに、簡単に追いつかれ、追い抜かれてしまうことがほとんどです。
当たり前なのです。
ただ、発達段階が少し早かっただけ、少し練習する、訓練するのが早かっただけのことです。
抽象的な概念、空間認識などは、理解できたり、感覚的にわかるのはかなり個体差があります。
ですから、早い、遅いだけの差だけなのです。
それよりも、小学校低学年くらいまでは、思い切りのびのびと遊んで、友達とケンカをしたり、一緒に楽しく遊んだりすることの方が、コミュニケーション能力を身に着けたり、感情的に豊かになったりすることができます。
基礎体力もその方が身に着きます。
何よりも、いろいろな遊びを通して、発想力も豊かになり、他人の気持ちにも寄り添えるようになります。
これが、算数の問題を様々な面から考えたり、国語の文章中の登場人物の感情を読み取ったりすることには、まちがいなく効果があると私は考えています。
それに、いざ、受験勉強を真剣にするようになったときに、体力、集中力は圧倒的に違います。
ですから、小学校中学年から高学年になるまでの間は、学習習慣をつけること、読み書き計算をしっかりと丁寧かつスピーディにできるようにすることだけで十分です。
小学校1年生から中学受験の大手進学塾に通わせ、灘コースには入れたなどとご家族が喜んで子どもを通わせて、小6までの難し問題を解かせたりすると、受験勉強のような偏った知識と一定のパターンでしかものごとを考えられなくなってしまいます。
豊かな発想とそれによる問題解決能力、他人を思いやり共感する力、包容力などが身に着くことからはほど遠い子どもになってしまいます。
みんながみんなそうなるとは言っていません。
その可能性を高くし、子どもらしさの欠片もない子どもにしてしまう可能性を否定できないと思います。
しかも、後々、後から同じ塾に入ってきた子ども達に、いとも簡単に追い抜かれていった時に、お母さんがどのように感じるかを想像してみてください。
「そんなもんかな」というのは、あまりにもかわいそうです。
小さいときに遊んで感じられたかもしれないものを、得られなかった代償は大きすぎます。
反対に「悔しい!」と思い、やっきになって勉強させることも、また、子どもに大きな負担と犠牲を強いることになります。
このように、就学前や小学校低学年から、中学受験のために学ぶことは、いくら何でもやりすぎだと、私は思っています。
小さいときは、お母さんに甘えながらも、のびのびと遊んで、遊びからしか得られないものをいっぱい身に着けておいて欲しいと思います。
中学受験で最難関中学に合格したら、それで「勝ち組」になれるような時代ではありません。
大学入試も多様化しています。
生成AIはどんどん進化しています。
この大きな変化の中で、子ども達が、学習もでき、他者とコミュニケーションをしっかりとることができ、他者の思いに寄り添え、共に学んだり働いたりできる力をつけることが、求められています。
このような時代だからこそ、子ども達には、競争も時には必要ですが、競争よりも共生が大切だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
どうぞ今日も良い1日でありますようにお祈りしております。