中学受験と不登校(602)愛されない子ども達

愛されない子ども達
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思春期の子ども達の中で、自己存在感が持てない、低い子ども達がいます。
私が出会ってきた子ども達が、私に教えてくれたことでした。
「自分は存在しない」
「自分がどこにもない」
「透明な存在」
「生きることもできない、死ぬこともできない」
「親の前にいる私は誰?」
「学校に行っていた時、教室には私ではない私が座っていた」
こう言って、最初、子ども達は暗い目をしていました。
子ども達は、まるで判を押したかのように同じように言いました。
「自分がない」
「自分なんていてもいなくてもいい」
「かけがえのない自分だと思えない」
こう言う子ども達の中で、こういうことを言う子ども達がいました。
「テストの点数だけが私が親に認められること」
「親の言うことを聞いたときだけが、許されていた」
「いつも兄弟姉妹と比べられて、ダメだしされてきた」
「僕の言い分なんて、何も聞いてくれなかった」
「いつも完璧でないと許してもらえなかった」
など、このようなことを言って、男の子ですら泣いていました。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
この子ども達の成育歴をご家族に聞いていますから、生まれ育った環境は、一人として同じ環境ではありません。
それにもかかわらず、全く同じことを言っていたのです。
「何かをして、それが親が言っていることの通りであった時だけ、許される。親の言うとおりにしていたら、認められる。」
「そうでなければ、大事にされない。」
「愛されてなんかいない。」
この辛さは、尋常ではありません。
だから、私が出会って、私やスタッフと最初話し始めたときは、斜に構え、私達を疑い、距離を置いていました。
でも、先輩にあたる先に出会った子ども達や、元気になってアルバイトとして来てくれていた先輩スタッフ達が、「僕達もそうだった。誰も信じられなかった。」と言って話してくれて、はじめて、少しだけ距離が近くなったことが、本当に多かったのです。
先輩スタッフ達も、男の子で拒食症になり、もう明日はないというギリギリのところで生きてきた子どももいました。
男の子の拒食症は本当に少なく、そのくらいまで追い詰められていました。
そういう先輩達と話すことで、自分達がいかに大切にされてこなかったかということを、目の当たりにしながらも、そこで凹んでいては生きていけない、自分を作り直すんだと、先輩スタッフの実体験を基にしたアドバイスがあって、やっと心を開いてくれるようになっていきました。
そうこうしながら、私やスタッフが、ご家族とお話ししながら、ご家族になぜこうなったのかということを、説明して、ご家族の考え方を、少しでも子どもに寄り添えるようにお話していきました。
どこにも自分がないという、自己存在感の欠如は、子ども達の命にかかわる問題です。
自己肯定感ばやりですが、自己肯定感を上げようにも、かけがえのない自分のはずが、そんな自分はどこにもいないと思っていると子ども達がいるのです。
そんな子ども達に、自己肯定感などという話はできません。
今、生きている実感もなく、日々過ごしている子ども達に、まず、
「あなたは、かけがえのないあなたなんだからね!」
と伝え続け実感してもらうことが何よりも優先されると、私は思っています。
学校が始まります。
学校が、もう始まっている地域もあります。
子ども達が学校に行くことを考え、辛くなり、毎年、命を落とす子どもがいます。
大人が、子ども達がかけがえのない存在だと心から思わない限り、そして、それを子ども達に伝えない限り、子ども達の命が失われることが有ります。
子ども達、一人ひとり、みんな、かけがえのない存在です。
みんなで声をかけて、子ども達の命を守らなければなりません。
みんなで声をかけて、子ども達を守ることが、大人がしなければならない最低限のことだと、私は思っています。